自分に子供が出来た日。
皆さんは覚えているでしょうか?
まだその日を迎えていない人も、すでに懐かしく思う人もいるでしょう。
この度しいたけお🍄は子供の出産に伴い、父親になりました。
戸籍上正真正銘『父』になり、改めてパパ目線で情報発信していきます!
そんな過去に投稿したはじめて妊娠が分かった日のことのオマージュから始まりましたが、
出産前後の心情を書き綴ります。
またしても自分本位な投稿になること、ご容赦ください。
どうかお付き合いください。
子供が生まれる前の日のこと
11月15日
緊急入院決定
妻の検診の結果、子宮口が2~3cm開き、高血圧気味とのこと。
医師の判断の基、予定日を1週間以上前倒し、入院することが決定した。
既に生産期に入っており、いつ生まれても大丈夫な状態ではあるものの、急な宣告。
私は家で在宅していたため、妻がいる実家近くの病院には行けず。
妻の母が専業主婦なこともあり、事前に準備していた陣痛バッグと入院バッグをそのまま病院に運んでもらった。
その知らせを聞いて私は急いで職場に事情を説明した。
事前に出産予定日前5日は休むことは承認してくれていたが、それを前倒すことも許してくれた。
急いで引継ぎを済ませ、定時で仕事を切り上げた。
医師の見立てでは、15日の夜中に陣痛が来るよう触診し、来なければ16日に誘発剤を打つとの事。
立ち合いのみ入れる予定のため、いつ呼ばれても良い準備はした。
11月15日 22:54
陣痛が始まった。
『がんばれ』としか言えなかった。
お腹の子供の鼓動を聞ける装置を動画で送ってもらった。
バクバクと脈打っていた。
確かにそこに子供がいる。
陣痛で苦しむ妻を擦ることも、直接励ますことも出来ない。
もうすぐ生まれる。
子供が生まれた日のこと
時刻が0時を過ぎた頃。
陣痛の痛みを紛らわすLINEは続いた。
11月16日 1:18
「来て」
たった一言、電話が来た。
後ろから機械のメーター音と助産師の飛び交う声も聞こえた。
「分かった」と一言伝えて電話を切った。
タクシーを呼んで、移動すること20分。
妻の実家近くの病院とはいえ、直線距離では程近く、深夜という事もありすぐ着いた。
11月16日 1:45
PCR検査を終えて分娩室に入った。
鳴り響くメーター音
強めの語気を使った医師の連携
乱れる妻の呼吸
未知の経験でも、目に見える光景から瞬間的に察知できた。
今が出産の極致だ。
妻の肩を擦りながら必死に声を掛けた。
痛いな
大丈夫、がんばってる
もうすぐ、ここ耐えよう
今子供もがんばってる
もっと気の利いた言葉を準備しておけば良かったと後悔している。
医師が妻のお腹を強く押した。
当然妻は叫んだ。
自然分娩ではないため、医師の処置の基、外部刺激での出産を試みる。
肩を擦って声を掛けることしかできない。
11月16日 2:00
産声が聞こえた。
子供が生まれた後のこと
2736g
私たち夫婦の間に子供が生まれた。
3000gにも満たない小さな子供だ。
妻に感謝と労いの言葉を送った。
そして子供の元に向かった。
体重計から移動したベッドの中は強い光と暑い熱が放射されていた。
泣いたと思えば、あくびをしながら穏やかに寝た。
それを繰り返していた。
か弱く必死で泣く姿が、また愛おしい。
騒がしい分娩室ではあるのに、子供の小さな泣き声だけはしっかり聞こえた。
手元に指を近づけた。
把握反射で指を握ってくれた。
生まれてきた実感が湧いた。
助産師の許可の元、抱きかかえ妻の傍に子供を寝かした。
私たち夫婦の間に家族が出来た。
体重計に乗った子供を写真で撮った時。
ふと妻の股を見た。
出産の壮絶さを物語っていた。
最後に
コロナ渦という事もあり入院中の面会は出来ず、次に会う日は4日後の退院日。
その後1ヶ月妻の実家で預かり、1ヶ月検診を終えて家に帰ります。
長いようであっという間の10月10日の妊娠期間。
それが終わり新たな家族の日々が始まろうとしています。
共に悩み、苦労し、喜び、小さな幸せを分かち合えると思うと子供の成長が楽しみで仕方ありません。
不安と葛藤で悩んでいた10ヶ月前より、少しは父親らしくなれたのかもしれません。
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